ワインとは、コンサート
さきほどのランチタイムでずっとワインとは何だろうと考えていた。
ああ、コンサートみたいなもんだなあと思った。
きっかけはあまりにもワインの美味しさを理解できない男友人との飲みだった。何事も無駄じゃないw。
やっぱりおれはビールでいい、という話になってしまっては何も始まらない。いつもスタート地点まで戻ってしまう。
ワインをお酒の範疇ととらえていたらその理解は充たされない。
誤解を恐れず言うならば、ワインとはお酒ではない。
今の僕の中では、ワインを楽しむとき、
作った土地、人、天候、製法、熟成方法のポイントなどがちゃんとワインの中に表現されていることが読み取れるにはだいたいだけども5000円以上できれば10000円に近いかそれ以上のワインを飲まないと、読み取れきれないと思っている。
土地が表現されるようなしっかりしたワインを作る手間暇を考えるとどうしてもそのくらいの価格にはなる。ものづくりなのだからしかたない。
もっというと、ワインを楽しむとは、その地方の歴史、作り手の人生、社会環境などを理解し、その知識欲求と、
味覚だけでなく視覚を含めた五感からくる感覚欲求の二つを同時に楽しむということだ。
さらに友人や美味しい食事が追加され、共感・親和欲求なども満たされれば、いうことこの上なし。
だいたいのところこれは一晩に使う金額としては、各種のコンサートと似ている価格だ。
つまり、事前準備としての知識を持って臨まなければ、たとえとっても美味しいと感じたとしても、正直なところはたいして飲んでも楽しくは、うーんと、そう、面白くは、ないのだ。
クラシック音楽を聴きに行く場合、それが例えばモーツアルトだとしたらやはり彼が生きた時代、生い立ち、家族の環境、時代背景を知識の土台として、その曲が表現したい意味を求めていくことが要求される。
いやはや、
ロマネコンティって美味しいの?とよく聞かれるのだけれども、その答えはYESでもNOでもない。
第3の答え、表現は美味しいという単純な表現にはならず、ロマネコンティを飲むテーブルでは、もはや美味しいという言葉は自体がNGワードだ。その世界とは、、、知識・経験欲求で昇天するかのような、そんな世界だ。